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Raymond Queneau "Exercices de style"  レーモン クノー『文体練習』(朝比奈弘治 訳)

 

 

 公用語が母語ではない土地で暮らしていると、ユーモアや冗談、パロディといったものには「言語的な共通認識」だけではとうてい理解し得ない、越えられない限界線というものをときどき実感する。言葉遊びはもちろんのこと、その言葉の裏に見えてくる背景を瞬時に「知って」いないと伝わらない話は多い。背景というのは心的歴史、経験そのものであり、時代・風土的もしくは社会的価値観であり、それらはどのようにして身につくかといえば、「その言語の話者であるか」どうか。たとえ言葉の意味が分かったとしてもそれは「言語として」の意味だけで、だからそれの何が面白いのかというところまでには至らない。

 

 だいたい、面白くて笑うということは爆発的な反射運動なのだから、言語がどうとか価値観がとか経験がとか、考えたりしている場合でもない。これはきっと面白いことであるのであろう、なんて判定してから笑っている、なんてこともない。もちろん、同じ母語の話者同士でも笑いのツボは人それぞれ違うのであるし、ユーモアほど繊細で難易度の高いコミュニケーション手段はないのじゃないかとさえ思う。それでも私は、大真面目にふざけたことをする知性あふれた人たちが大好きだし、互いに笑い合えるような話や言い回しなどを駆使して、誰とでも明るく話せる人間でいたいという野望がある。

 

 そんな(ひそかな)野望を抱く私にとって、この『文体練習』はうってつけの書物で、しかもフランス語の勉強を楽しむ以上に、日本語訳から学ぶことがとても多い。学ぶだけでなくおかしくなってきて思わず笑ってしまい、選びとる語彙と遊び心の豊かさに感動までする。これはただの「日本語翻訳版」ではなく、訳者である朝比奈弘治氏の独創的なユーモアセンスに溢れた「この方自身の日本語芸術作品」なのだな、と私は思う。言葉の創造性と知性(博識)があってこその『日本語文体練習』。もちろん、最初に"ふざけ始めて"土台を作ったのはクノーだけれど。

 

 この『文体練習』も、よくある「原語版よりも装丁が丁寧で美しい日本語翻訳本」のひとつ。フランス原語版は素っ気ないペーパーバック、ページの紙は分厚いわら半紙のようにざらざらして無愛想な感じであるのに対して、ハードカバーの日本語訳版は製本も色合いも紙質も上品。そのうえ、それぞれの章に合わせて視覚的な工夫がされていて、改行や反転、フォントの種類や大きさ、色までも変えてある。これは日本語翻訳版独自のもの。ただ眺めているだけでも文体の特徴や違いを感じることができて楽しい。特に日本語というのはその文字列を見るだけで瞬時に、なんとなく内容や気分さえもを理解できるような視覚的な強みがあるから、このアイデアは日本語版独自の実験そして発見でもあると思う。

 

 かたやフランス原語版はひたすらに、読むもの、そして読み上げるもの。発せられるものとしての言葉と文字の羅列。きっとこの紙はぼろぼろになるまで手に持ち、音として読み込んでいくためのものなのだ。フォントも変えられることなく特別な(必要以上の)改行もなく、「音の言葉」が質素にそこにある。

 

 フランス語の文字の並びを目にしていると、私のイメージのなかでは、ラジオから一章ずつ読み上げられていくような音声が聞こえてくる。そして自分自身もうずうずしてきて、声に出して大きく発音してみたくなる。美しく朗読するのではなく、リズムよく読み上げていく。それぞれの文体に合わせて、身体が自然にテンポを決めていく。舞台俳優のよう(に仰々しいよう)な、もしくは洒落た女優の飾った(気取った)朗読ではなく。文字が、なんなく話しかけてくるようなラジオの音声となって私の耳に入ってくる。そうしてさまざまな角度の視点から、リズムとなってひとつの小さな映像を切り刻んでいく。

 

 

余談

 私がまだ声楽家をしていたころ、この『Exercices de style』のなかからいくつかの章を抜粋して、自分の声のために無伴奏の(声だけの)曲を作ってもらえないかと、友人の現代音楽作曲家に頼んだことがある。我ながらとても楽しい案だと思っていたのだけれど、著作権の問題で歌詞としてまだ使えない、と彼に言われて断念した。今から思えば、何もわざわざ音なんてつけなくても、そのまま即興で、音楽的に「読み上げれば」良かったんじゃないか、ということだけれど。何かとても面白くて特別なことがしたくなって。

 

 「真剣にふざけてみる」パロディめいたものをイメージしていた当時の私に、作曲家の彼がかわりにと提案して作ってくれた曲には、ロベール デスノスのとても悲しく深く美しい一篇の詩がつけられていた。ひとつひとつの言葉に透明な重みがある。彼はまさしくその詩と深く抱き合うような、素晴らしい音をつけてくれた。パロディな私はそのままどこかへ吹っ飛んで、静かな無伴奏で、私はそれをたくさん歌った。作曲家の彼は、私の「実験的な言葉遊び」という案よりも、クノーという文化人の時代背景からデスノスにたどり着いてくれたのだろう。クノーの話になるとこのデスノスもセットになって回想されるのが、私自身のものがたりになっている。