静かな部屋
四月 冷える曇りの午後
からまり合う うるおいの音
台所で沸いている湯
やかんの中で音を立て チリチリチリ
細くすぼめた口から勢いよく
湯気が出ている
見ていないが見えている
隣で居眠りする犬の ほのかなイビキ
ぶーう ぶーう ぶーう
近くを走る国道を
タイヤがおしゃべりしながら通り過ぎていく
固まっていない音
文字となっていない音
工事の音は聞こえない
知らない人たちの声は聞こえない
聞こえるけれど聞こえない
聞きたくないから聞こえない
どんなものより数倍高い周波数で
語りかけてくる鳥たちの声
この世界に浮遊するあらゆる音を突き抜けて
鼓膜の ここまで届く
チッ チッ チッ
♩=60は秒針の速さ
今日は一秒が速い
一秒が速く感じられるということは
今日は心臓の鼓動が遅い
♩=60はAndante 歩く速さ
こんな日に Andanteの曲はどうなる
歩くとき どうなる
時計もメトロノームもないときに
♩=60を知らなければいけなくなったら
目を瞑って秒針の動きを思い浮かべる
視覚の記憶を刻みつける
みずからの心臓のリズムには頼らない
脳内で音を再現するということは
自分の鼓動を基準に聴くということ
揺れも ずれも ある
リズム感て そういうもの
チッ チッ チッ に支配される部屋の中
四角い小さな目覚まし時計 白いドイツ製
チッ の一秒のあいだに
やかんはチリチリチリチリ
チリが四つに細かく分割される
ぶーう のいびきは
だいたい5秒に一度の規則正しさ
熟睡のウインク
少しずつずれていく 5秒のタイミング
クロウタドリは気まぐれで
耳をすませるともうとたんに
歌わない
今まで窓の外すぐそこ
隣家の煙突のてっぺんに居たのに
気づいたらもう遠いところ
大木の尖った頂上で
声高らかに歌っている
「時計なんかに操られるものか
時計に合わせるなんてナンセンス
時間とは 音だよ
刻まれて 奴隷のように響く秒針は
音なんかじゃないよ
時計なんて知らないよ
音があるから 時間なんだよ」
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