26 悲しい十月

 

 

 

悲しい十月

 

感受の扉が重く閉ざされ、自己表現としての言葉や文字が なにも出てこないという状態はおそらく人生で初めて、というぐらいの戸惑いをもって日々を過ごす。

 

異常に暖かな十月のせいで一度枯れた苺の葉と花が瑞々しく蘇り、十年前の今日には雪がたくさん降った記憶がふと蘇り、新しい時代に、いま進んでいるところなのだと知る。

 

 

久しぶりに湖畔に下りた。

愛犬のいない散歩に出かける勇気が今まで出なかった。

日曜の朝、静謐のなか。

身を清めることに余念がない、若い白鳥はいつ真っ白になるのだろう。

脚で胴体を掻く、白鳥の姿にさえ、愛犬の懐かしい仕草が重なって見える。

いつも景色は、ぼやけている。

 

 

 

生き続けることは、抱える寂しさが増えること。 愛犬の居ない生活に慣れつつあり、慣れてしまうことさえ悲しい。どうしたって寂しいというところからは離れられない。ならばもう、寂しいというのと、ともに生きようと決めるしかない。

 

泣いて過ごしているうちにも、秋は折り目正しく始まり、どんどん進み、気がつくと世界の色が変わっている。わたしは何を見ているのだろう、目も耳もきちんと開いてはいるが、意識は内の空洞の中にいて、何を前にしても重い鈍りしか感じられない。

 

 

ひとつの存在が欠如しているだけで、すべてが整わない。うわすべりして、真意を見失う、なんの意味も持たないものをただ無理矢理に、出そうとしているだけ。判然としない、夢のなかのことのように、今の現実は、あとから思い出せないほど薄い記憶となるだろう。

 

 

空が白い、くもりの一日。このような日はどうもだめらしい。

少し旅に出て、帰ってきてもう大丈夫だと、なんということもなくただの用事で歩いた道。

歩き慣れた道、秋の彩り、落葉は進んでいる。

 

黄金いろの豊かな絨毯、その柔らかさが、現実と強い実感を私に突きつけてきた。愛犬はもう居ない、あの毛むくじゃらの色に似たこの季節を、愛犬はもう新しく迎えることはなかった。

 

あの日、煙が真っ白の空に吸い込まれて行った。その白い空に鳶が一羽、円を描いて見送っていた、その鳶が教えてくれた、その日の、言い表すことのできない強く苦しい悲哀を、私はもう忘れることができないので、白い空の曇りの日は、そういう日になってしまった。

 

 

思考は氷で感情は火。氷がとけて ゆるい水と化すのを待つ、火が燃え尽きて煤となり炭となり灰となるのを待つ。

ものごとは自然に、なるまま在るままに任せる。一瞬の激動に惑わされず操られることなく、耐えて待つ。頑なに、その形だけが真理なのだと、信じることはたやすいが、氷も火も、永遠にその形のまま残そうとすればするほど、歪みしか生じないという事実には、気づきにくい。それによって歪みが生まれ、あるはずのまっすぐの道は、歪みによって見えなくなる。 

 

 

 

 

 

 

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