ぼんやり九月
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尋常でない数のカラスが、尋常でない様子で声をあげながら隣家の周りを飛び回っていた。一体何事かと外を見ると、隣家の玄関先に大きな鳶が一羽、うずくまっている。
たった一羽で弱り切っている鳶に対して 、カラスらよ、それはないだろうよ。必死で地を這い身を隠そうとする鳶を、集団で追い詰めるカラス。
悲しい世界、ときに人間社会だって同じ。みな何らかの形で生き残るための、生態系。
私がカラスならば、やめておけと率いるボスカラスにはなれないが、せめて、孤独なカラスでいたい。どこからも、離れたところにいる静かな存在と、なりたい。
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「感情」は、言葉にして綴ろうとするほど真意からみるみる離れて薄くなる、文字にするには厄介なものだ。 感情のままとにかく書きなぐっているといつの間にか癒やされる、というのは、そういう風にして吐露された情動の、言葉としての浅い上澄みを自ら読み返すことによって、その自らの安っぽさを目撃し、とたんに冷静になるからなのだろう。
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出した言葉をひっこめたりまた出したりして、書くということは、声に出すということよりも操縦が効く、ように思えるが、一度出したものには変わりも偽りもなく、結局は一番最初に衝動によって漏れ出た言葉が、心の音であり、心の文字だ。
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思い出を詰めようと小瓶を探して歩く。乾いた風が、高く実った林檎の丸みを優しく撫でて通り過ぎていく。確かにあったあの重みと手触りが、今はこのようになったということの、目の前にある両手に収まるほどの何か、一体これは何だろう。
哀しみは、忘れるのでなく閉じ込めて、その閉じ込められた空洞とともに生きると決めた。忘れてしまうことそのものが、私は淋しい、忘却は生命の証を否定するということでもある、空洞は美しくもある、と信じていたい。
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秋小雨の一週間、水曜日は特別な曜日、水曜日に生まれて水曜日に去った、命の曜日。
あれから週をよっつ過ごしました。灰と骨に混ざった翡翠色は神秘の色。長雨は世界を透明に包んで、朝の光は遅くにぶく、白鳥の羽が生まれ変わる換羽の季節、翡翠色をした湖水の上へ、自由に旅立つ羽、水玉をはじいて浮かぶ軽やかさ、白と命の美しさ。
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愛犬はどこへ行ってしまったのだろう、という問いに意味はない。 欠けてしまった私の一部、愛犬の存在は、ひとつの時代だった。喪失感は日ごとに底が深くなるばかりで、何かによって埋められるひとつの穴のようなものではない。
そのうちつむじの真ん中から足の指先まで、悲しさそのものとなって、私は立つ。これはひとつの時代の、区切り。底が上がることはないし、欠けたものも戻らない。こうして刻まれて、時代そのものに刻まれて、装飾されることなくただの新しい事実を、生きるのみ。
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