静かに誘ってくる雨。
雨の日の湖はやわらかい。粒は音もなく、水の塊に吸収される。
ツバメが何羽も水面すれすれを飛び交い、雨と一緒になって点を打つ。
線描のようにこまかく輪が広がり、なめらかに世界すべての輪郭を縁取ってゆく。
遊覧を兼ねた連絡船が音もなく近づいて、明かりの灯った船内に、まばらに人の頭が見えてくる。遠くを進む船が、国旗を重くはためかせながら横顔を見せ、ゆっくり市街地へ向かっている。
今日はヨットが出ていない。ヨットにとって風のない湖は、栄養の足りていない肢体そのものだ。
湖のまんなか、そこは一番静かで、その湖底はきっと一番深いところ、そこに、黒い色の水鳥たちがぷつぷつと浮いている。みな押し黙り、なにも聞こえない。
停泊場で交代の職員たちが、制服を着て立ち話をしている。誰が操縦して誰が検札するのか、誰の仕事終わりで誰の仕事始めなのか、すべて紛れて区別がつかない。お揃いの、胸と背中に市のマークを付けた紺色レインコート。おおやけとして存在する人々の、潜めいて低い声が、水に吸い込まれてゆく。
鴨や白鳥たちは、濡れそぼった芝生の上で身を丸める。生まれたばかりの灰色をした雛たちを、羽に抱いて。傘も雨宿りもいらない自由な生き物たち。
身ひとつで生きるということ。
立派なマロニエの木に、白い花がたくさんついている。三角錐の束になり、空を指す矢印のように咲いている、その木の下で、
男がひとり寝転んでいる。
まっすぐ、地に沿うようにして背中を任せ、頭の先から足の先まで一直線になって。
あんなに豊かな葉を纏った大木ならば、男の頬には雨粒のひとつも落ちることはないだろう。
男の全財産、男の住処。もうずっと、そうやってここで暮らしている。
そのことを生きものはみな、認めている。
突然の夕立にずぶ濡れになり走って帰ったあのころの、薄暗い夕方を思い出す。
家に入ると、とにかく帰るところ、明るく乾いた場所が、自分にはあってよかったと安心した。
雨からあんなに急いで逃げてきたのに、屋根を打つ雨音は親しげに私を包みこむ。
その好ましさは雨音によるものなのか、それとも部屋の中にいるという安堵なのか。
やっぱりここにいるべきではないのではないか、どこか遠くへいかなければいけないのではないか。
焦燥が身体のなかを駆けていく。飛び出して行ったからといって、また同じように、濡れずにすむ場所を求めて、走り続けることになるだけだというのに。
雨の日に、どこにも安住しないでじっとしている。
2020年5月 記
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