2019年5月18日
怖い夢で目が覚めた。動悸がおさまるまで布団の中でじっと待つ。部屋の中はまだ暗いが、窓の外でかすかに鳥が歌っている。この鳴き方だとたぶん朝五時だろうと思って起き上がり、小さな時計を見ると四時五十分だった。それで安心した。もし夜中の二時ぐらいだったら、救いようがない気分になっていたところだった。そのまま起きて、外の明るさと、愛犬が朝のビスケットをねだりにベッドから出てくるのを待つ。
天気は曇り、予報ではのち雨になるらしい。こういう空の色をしている一日は、2歳から12歳までを過ごした町のことを思い出す。日本海側の、豪雪で有名な地域。
その町は、空が低く曇り空の多い土地であった。雷や激しい夕立も多かった。その代わり、夏はすっきりと晴れて世界のすべてが輝き、一つ一つのものの輪郭が浮き上がったようになり、寧ろそのもの自体よりもより美しく際立たせる魔法のような空気があった。逃げ水という蜃気楼をたくさん見た。
ある曇った土曜日にひとりでシャボン玉を飛ばしていると、いつも晴れの日に飛ばしていたシャボン玉と少し様子が違うことに気がついた。まるで空中にじっと留まるかのように静かに浮かんでいる。元気よく飛んではいかない。きらめく虹色がうまく見えない。でも、そのシャボン玉の輪郭ははっきりととてもよく見えた。見えないけれども見える線が、確かに丸を形作っている。鈍いようなくすんだ色が、その球体の中に見えたような気がするが、そんなことよりも私はその線、輪郭の線に夢中になった。曇りの日はつまらない、晴れていないとシャボン玉は飛ばせない、と信じていたのに、それは違った。曇りの日は、物ごとの輪郭がその在るままに正しく見える。
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